自転車



ある日曜日の昼下がり。

「ねえ、シンジ?」

紅髪の少女が呼びかける。

「なに?アスカ。」

茶碗洗いの手を休めずに応える黒髪の少年。

「それ終わったら、夕食の買い物行くでしょ?」

「へ?」

アスカの意図を汲み取れないシンジ。

「だ〜か〜ら、夕食の買い物行くわよね?」

すこし苛立ちの表情をうかべるアスカ。

シンジはアスカの様子に気がつかず、呑気に言葉を返す。

「別に昨日しといたから、今日は行かなくてもいいと思・・・。」

「行・く・わ・よ・ね、シンジ。」

シンジの言葉を遮り、脅しをかけるアスカ。

「ハイ!!行きます!」

ここまできて、やっとアスカが本気だということをシンジは理解した。





「じゃあ、行って来るけど、アスカ夕食何食べたい?」

玄関で靴を履きながら尋ねるシンジ。

しかしアスカは下を向いてモジモジしている。そしてゆっくりと言葉を紡ぐ。

「私も…一緒に行って…いい?」

頬を桜色に染めるアスカ。

「うん、いいよ。」

即答するシンジ。アスカの顔がいっぺんに明るくなる。

「じゃあ、行きましょ、シンジ!」

そして2人は家を出た。





マンションの1階まで降りてきたところで、アスカが口を開く。

「買い物、どうやって行くの?」

「え、そうだね、いつもなら自転車で行くところだけど、今日はアスカと一緒
だし、歩いて行こうか。」


シンジはつい最近、ミサトに自転車を買ってもらっていた。“エヴァパイロットと
主夫を兼業するシンジの負担を減らしてあげよう”というミサトの優しい心づかい
らしいが、“シンジ君、あなたに家事は全て任せたわ”というミサトの考えも多分
にあったらしい。


「別にいいわよ、自転車で行きましょ。」

提案するアスカ。

「でも、僕かアスカのどっちか歩かなきゃダメだよ。」

「なに言ってんの、2人乗りがあるじゃない。シンジできるわよね?」

「…別にできるけど、危なくない?」

「平気、平気。ほら、さっさと行くわよ。」

「…う、うん。」

アスカに手を引っ張られ、自転車置き場に向かうシンジ。





「じゃあ、いくよ?」

恐る恐る後部荷台にいるアスカに声をかける。

アスカは後輪の脇の金具に両足を乗せシンジの両肩に手をおくという、20世紀の
女子高生がよくやっていた2人乗りスタイルで出発を待っていた。

「うん。じゃあ、しゅっぱ〜つ!!」

自転車がゆっくりと動き出し、徐々に加速する。

(…いい風……。やっぱりシンジを誘って正解だったわ。アリガト、シンジ。」

シンジの肩においた手に軽く力を入れる。

町中をさわやかに疾走する2人。

そして、その姿を買い物の途中で見かけた一人の蒼髪の少女。

「………碇……君………。」





《次の日の学校》

昼食も終わり、ひとときの団らんを楽しむ2年A組のクラスメート。

「昨日は楽しかったわね、シンジ。」

何故か機嫌の良いアスカ。

(アスカ、昨日買い物行って以来、妙に機嫌いいんだよね。なんかあったのかな?)

などと考える、鈍さ大爆発のシンジ。

そんな2人のもとにレイが近づく。

そして2人の正面に立ち軽く一呼吸した。

「…碇君、そして弐号機パイロット。」

「なに、綾波。」「なによ、ファースト。」

シンジはともかく、あからさまに不機嫌な顔になるアスカ。

「あなたたち、昨日、自転車の2人乗り、してたでしょ。」

「ええ!綾波見てたの!?」

なぜか動揺するシンジ。

逆にアスカはレイに言い返す。

「だからなんだっていうのよ。別にいいでしょ、“あたしたち”がどうしたって。」

わざと“あたしたち”を強調するアスカ。

レイは一瞬下唇を噛んだ。しかし表情をほとんど変えず口をひらく。

「私たちはエヴァのパイロット。私たちに万が一のことがあったら、世界は破滅
するの。そんな私たちに何かあったらどうするというの?」

正論を述べるレイ。しかしアスカには通用しない。

「ハン!アンタ、バッカじゃないの。2人乗りくらいでなにがどうなるっていうのよ?
バランス崩してコケてケガするとでもいうの?パイロット訓練受けてるあたし達は
そこらへんの連中より運動能力、反射神経とも優れているのよ。ま、シンジは別
かもしれないけどね。」

そういってシンジにウインクするアスカ。

「……でも、」

レイが何とか言葉を紡ぎ出す。

「…自転車の2人乗りは…道路交通法に違反するわ。」

「あんたって、つくづくウルトラバカね。そんな20世紀の法律なんて、21世紀の
現在に通用するわけないじゃない。それに、もし通用しても、あたしたちはネルフに
属しているのよ。警察が捕まえるわけないわよ。」

綾波の指摘に余裕で反論するアスカ。

「……で…も…。」

今日のレイはどことなく歯切れが悪い。

(これは日頃の恨みをはらすチャンスだわ。)

日頃レイに言い負かされているアスカは、ここぞとばかりにレイに言葉を浴びせる。

「なによ、あんたまだ何か言いたいの。そんなにあたしとシンジが2人乗りしたこと
にケチつけたいわけ?そんなにシンジが気になるの?」

レイはアスカの“口撃”に反論できず、唇を噛み、拳を握りしめていた。

「やめなよ、アスカ。」

そんなレイの姿を見かねてシンジが口をはさむ。

「なによシンジ、あんたファーストをかばうっていうの?」

「そんなんじゃないよ。綾波がかわいそうだからだよ。」

「おなじことじゃない。だいたいファーストは普段から生意気なのよ。いつもいつも
人のことを見下した目でみてさ。それに…、」

アスカがそこまで言った時、レイは身を翻し脱兎の如く教室の外に出ていった。

「綾波〜!!」

シンジが慌てて追いかける。

アスカが叫ぶ。

「そんな女ほっときなさいよ、シンジ!」

教室から出ていく直前シンジは振り返った。

「アスカ酷いよ。なんで綾波にあんな酷いこと言ったんだよ…。とにかく、
僕は綾波を探しに行ってくるよ。見つかったら戻るから。」

そう言い残し、シンジは教室を出ていった。

「なによ、シンジの奴……、………バカ。」

一人残されたアスカがそっと呟いた。


シンジは駐輪場にある、鍵のかかっていない自転車を見つけだした。

(どこ行っちゃったんだろう、綾波。とりあえずまだ遠くには行ってないはずだし、
ここらへんを探してみよう。)

シンジは自転車に乗り校門を出ていった。





「ハァ、ハァ、ハァ……。」

レイは学校を飛び出してから、無我夢中で家に向かって走っていた。そして息が
続かなくなり、ふと立ち止まる。

(…わたし…どうしたというの?)

(…なぜ、碇君のことを考えると…、…こんなに胸が…熱く…なるの?)

トボトボと足どり重く歩きだすレイ。

(…あの時…、…弐号機パイロットに碇君のことを言われたとき、何を言っていいのか
分からなくなった…。…こんなこと…今までなかった…のに…。)

(…なに?…この…胸が締め付けられるような…気持ち…。)

自問自答を繰り返しながら歩くレイ。その時……、

「お〜い、綾波〜。」

後ろから声が聞こえた。

(碇君!?)

レイの紅い瞳に自転車に乗り猛スピードで向かってくるシンジの姿が映る。

(…何故…碇君がここに?)

(……ダメ、…今は碇君に顔を見られたくない…。………ナゼ…そう思うの?)

レイは突然シンジから逃げるように走り出した。

その姿を見つけるシンジ。

「待ってよ綾波。どうして逃げるんだよ。」

そう言いながら、ますますペダルを踏む脚に力を入れるシンジ。

(…碇……君…、…お願い……だから、…追って……こないで。)

しかし走りながらでは声にならない。

みるみるレイとシンジとの距離が縮まっていく。

そして、あと少しで追いつこうとしたとき……、

「キャッ!」

レイは石につまづき転んでしまった。

急ブレーキをかけ、その横に止まるシンジ。

「綾波、大丈夫?」

自転車から降り、座り込んでいるレイに声をかける。しかし、

「来ないで!」

レイが小さく叫ぶ。

レイに近づこうとしたシンジの動きが止まる。

一瞬躊躇したシンジだったが、その瞳にレイの膝から流れる血が映る。

「ダメだよ、綾波。膝から血が出てるじゃないか。」

そう言いながら。レイの膝に自分のハンカチを当てる。

「ちょっと持っててね。」

シンジに言われるがまま、レイは膝に当てたシンジのハンカチを持つ。

自分の財布を取りだし何やらゴソゴソ探しているシンジ。

「あった!」

そう言って取り出したのは一つの絆創膏。

「綾波、ハンカチはずして。」

レイがハンカチを取ると、シンジは傷跡にペタッと絆創膏を貼る。

「これで取りあえず大丈夫だと思うけど、やっぱり保健室でちゃんと診てもらう
ほうがいいよ。学校に戻ろう、綾波。」

シンジが見ると、レイは道路に座り込んだまま、明後日の方向を見つめていた。

「綾…波?」

シンジが呼びかけると、レイは向きなおり、シンジの瞳をじっと見つめる。

「…なぜ、碇君、私を…追ってきたの?」

ゆっくりと言葉を紡ぐレイ。

シンジは今の気持ちを素直にレイに伝えた。

「綾波が…心配だったからだよ。」

(…私が…心配?)

「…どうして?私、碇君に心配かけたつもり…ないわ。」

すこし俯きがちになるレイ。

「いや、綾波はそう思ってても、僕は綾波が心配だった。このまま放っておけば
綾波がもう帰ってこないような気がして。」

シンジは空を見上げた。

「だから綾波を見つけたとき、ホッとしたんだ。でも綾波…走って行っちゃうし…。」

表情が寂しげになるシンジ。

その表情にレイの心はキュンと痛む。

(…私、私のせいで…、…碇君に、いっぱい、いっぱい、…迷惑…かけてしまった。)

そう思うと、何故か涙が込み上げてきた。

「…ゴメン…なさい…、……碇……君…。」

レイの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。

「…私の…せい…で…碇君を…傷…つけて…しまって…。」

「そ、そんな気にしないでよ、綾波。だからもう泣かないで。」

いきなりレイが泣き出してしまい慌てるシンジ。

「…………ええ……、…ゴメンなさい…碇君。」





「じゃあさ、もうそろそろ、学校に戻ろうか?」

レイがやっと落ちついてきたところを見計らって提案するシンジ。

「ええ。」

そう言って立ち上がろうとするレイ。しかし、

「痛っ!!」

再びしゃがみ込んでしまうレイ。シンジが駆け寄る。

「どうしたの、綾波?」

「右の足首が痛くて…。」

そう言いながら足首をさするレイ。

「ちょっと見せてみて。」

そう言うと、シンジはレイの靴と靴下を脱がした。

シンジが見ると、レイの右足首の外側が赤く腫れ上がっている。

「さっき転んだときにくじいたんだね、きっと。」

落ち込んでしまうレイ。

「…碇君、先に学校帰ってて。…私、ネルフに電話するから。」

「そんなことしなくてもいいよ、綾波。自転車があるもの。」

(えっ)

「後ろの荷台に綾波がのれば大丈夫だよ。」

(でも)

不安げな表情をうかべるレイ。

「大丈夫だってば、前にアスカと2人乗りしたし。それに綾波はアスカより体重
軽いからね。さ、行こうよ綾波。」

そう言うとシンジはおもむろにレイの膝の裏、背中に手をやりレイを抱き上げ、
自転車の止めてる場所まで運ぶ。

「い、碇君?!私一人で…。」

“歩けるわ”と言おうとしたレイだったが、その言葉はのみこんだ。

(…碇君の顔…こんなにそばに…、……どうして…こんなに…気持ち…安らぐの?)

放心状態のレイをシンジは、後部の荷台にそっと座らせる。

「じゃあいくよ綾波、しっかり掴まっててね。」

そして、自転車をこぎ出すシンジ。

レイはシンジの身体にしっかりと手をまわし掴まっている、いや後ろからしっかり
抱きついているといったほうが良いかもしれない。

(…2人乗り…、…良くないこと…、…しては…イケナイこと…。…でも…今だけ
は…許して…。)

「碇君…。」

レイが呼びかける。

「なに、綾波。」

「あのね、その…。」

「大丈夫だよ、綾波。僕たちネルフの人間だから警察には捕まらないって。」

「え、そ、そうじゃなくて、あの…。」

レイの身体が熱くなっているのが制服ごしに伝わってくる。

「…今日は…、…ゴメン…なさい…、…色々迷惑…かけて。」

「そんな気にしないでよ。元はと言えば僕とアスカが2人乗りしてたのが
いけなかったんだし…。」

レイはシンジの優しさが体中に染み渡るのを感じた。

「……ありがと……碇君…。」

そう言うとますますしっかりとシンジにしがみつくレイ。



シンジは自分の背中に何かとても柔らかく、温かいものがくっついているのに
気がついた。

(えっ、今まで気にしなかったけど、この感触って………ひょっとして…綾波の
む、むむ、胸〜!!)

「…あ、あの、綾波、そ、そんなにしがみつくと、そ、その胸が……。」

何とか今の状況をレイに説明するシンジ。しかし、

「別に構わないわ。」

全然気にしないレイ。

「そ、そお?」

(でも、この状態のまま学校に行ったらみんな[特にアスカ]に何言われるか………。
)
贅沢な問題に頭を悩ませるシンジ。

その間にも、刻一刻と学校は迫ってくる。

(ああどうしよう〜。綾波に降りろとは言えないし、でもこのまま学校に戻るわけにも
いかないし、傷の手当もしなきゃいけないし……。)

後ろをチラッと振り返ると、瞳を閉じ、頬をシンジの背中に寄せて、うっとりした
レイの表情が見える。



(ホント、どうしよう。)


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【筆者後書き】
 一応、物語はここまでです。《完》となるか《続き》となるかは、今後のアイデア
次第です(ここで終わった方がいいですよね、やっぱり^^;)。
  みなさんこの作品どう思われましたか。なんか私の書く小説ってどれも同じような
ものばっかり(^^;)。もしお暇があればメール下さい、お願いします。


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