『Days of After 〜レイ〜』
  Vol.2 


 

 転入生の男の子、碇君、はわたしと少し離れた席に座ることになった。

 ちょっと残念だったけど、ほっともしていた。でも、なぜほっとするの?

 休み時間になると、クラスの男子が何人か話しかけていた。でも、碇君は一言二言返事しただけで、後は黙っているようだった。

 見るからにおとなしそうな子だけど、その通りなのかしら。でも、転校初日だから緊張してるだけかもしれないし。

 わたしは授業中からずっと、ちらちらと碇君の様子をうかがっていた。

 どうしてこんなにあの男の子のことが気になるんだろう。

 理由なんてないはずなのに。

 それに、どうしてさっきは涙が出たりしたんだろう。

 幸い、だれもわたしが泣いているのに気付いた様子はなかったけれど。

 ただ、碇君だけは席に向かいながら怪訝そうな目をわたしに向けていたっけ。

 

 なんとなく落ち着かない気分のまま、一日の授業が終わってしまった。

 下校前の掃除をしながらも、なんとなくぼーっとしてしまう。

「赤木、赤木ったら!」

「え?」

 わたしはびっくりして声の主に目を向けた。いまだに、わたしはその名前で呼ばれるのに慣れていない。

 クラス委員の女の子が私を睨んでいる。

「なにぼーっとしてるの?だめよ、さぼってちゃ」

「あ…、ごめんなさい」

「ゴミ箱のゴミ、捨ててきてね」

「わかったわ」

 わたしは両手にゴミ箱を持って教室を出た。ゴミ置き場までは階段を降りて校舎の裏まで歩かなくてはならない。かなり距離があって、けっこう大変。

 ようやく校舎の裏までやってきたわたしは、ゴミ置き場の前に何人か男の子がいるのに気が付いた。

 

***

 

 多分、ほかのクラスの子がゴミを捨てに来ているのだろう。そう思ったわたしは気にもとめなかった。

 でも、そのうちの一人がほかの一人を突き飛ばすのを見て、急にいやな気持ちになった。

 ケンカでもしてるの? だったら、止めないと。それとも先生を呼んだほうがいいのかしら。

 そう思っているうちに、突き飛ばされたほうの子が、突き飛ばした相手に殴りかかっていた。

「うそ?なんで…?」

 そこで殴り合いを始めた男子は、今日転校してきたばかりのあの男の子、碇君だった。

「だめ!」

 わたしは我知らず走り出していた。

 わたしが駆け寄るまえに、碇君は三人ほどの男子に殴りつけられていた。

 三人がかりなんてひど過ぎる。そう思いながら駆け寄って、思い切り叫んだ。

「やめて!」

 男子たちが何事かとわたしを振り返る。

「ケンカやめて!やめないと先生呼ぶわよ!」

「それがどうしたってんだ?」

 碇君をつかみ上げていた男子がそう憎々しげに言った。

「よけいな邪魔をするんじゃねえよ」

「先公にチクったりしてみろ。ただじゃおかねえぞ」

 三人の男子生徒がわたしを振り返りながら言う。え?待って。

 この三人、ひょっとして校内でも札付きのワルじゃなかった?

 わたしは膝ががくがくし始めているのに、自分で気が付いていた。

「や、やめてよ。三人がかりなんて卑怯よ」

「卑怯だあ?」

「それがどうしたってんだ?」

 男子のうちの二人がわたしに向き直る。

「よけーなこと言うんじゃねえよ」

「女だからって、甘えてんじゃねえぞ」

「その顔、倍ぐらいに腫れ上がらせてやろうか?」

「ん?おまえ、3−Aの赤木か?」

「こりゃあいい。じゃあ、俺たちとつき合えよ。そうしたらこいつは許してやる」

「な、何を言ってるの?」

 わたしは何を言われているのか、わからなかった。

「言ってることがわかんねーのか?俺たちとつき合えってんだよ」

「そしたら、こいつは許してやるって言ってんのさ」

 いや!

 こんな連中とつき合うなんて、死んだっていや。でも…。

 わたしは首を締め上げられたままでいる碇君に目を向けた。

「い、いいんだ…」

 碇君は苦しそうに声を出した。

「僕はいいから。早く行って…」

「おまえは黙ってろい!」

 男子がもう一回碇君を殴りつける。その拍子に碇君の顔から赤いものが飛び散った。

 それを見た瞬間、わたしの中で何かが切れたような感じがした。

 

***

 

「許さない…」

「ん?なんだ?」

「許さないんだから」

「許さないだあ?」

「おもしれー。何をどう許さないってんだよ?」

 わたしに向き直った男子が、せせら笑いながら手を伸ばしてくる。

 わたしはその手がおぞましいモノに思えてしまい、思い切り振り払った。

「ぎゃっ!」

 え?

 わたしに手を伸ばした男子が腕を抱えながら地面に転がってる。

「や、やりやがったな?!」

 もう一人が両手を伸ばしてつかみかかってくる。

「いやっ!」

 わたしは思わず目を閉じて両手を振り回してしまった。

「ぐえっ!」

 奇妙な声がすると思って目を開けると、その男子も地面に転がっていた。

 どうして?わたしがやったの?

「な、なんだおめーは?」

 碇君を締め上げていた男子が、驚きに見開いた目をわたしに向けている。

 わたしは地面の二人と残った一人とに交互に目を向けていた。

「女のくせに空手でも使うってのか?」

 そんなもの知らない。わたしに男子を殴り飛ばすほどの力があるはずないのに。

 そう思いながら、碇君に向けて歩き寄る。

「く、くるんじゃねー!」

 男子ははっきりとおびえを見せて、碇君をまるで盾にするように後ずさっていく。

 碇君は、驚いたような目を私に向けていた。

「その手を離して」

「く、来るんじゃねー」

 でも、その声ははっきりとおびえている。わたしにおびえているの?

「離して」

「くそっ!」

 男子は碇君を放り出すと、そのまま後ずさり、くるっと向きを変えると駆け去ってしまった。

 わたしはそんな男には目もくれず、突き飛ばされてしゃがみ込んでいる碇君に駆け寄った。

「だ、だいじょうぶ?」

「あ、ああ。だいじょうぶ…」

「あ、血、血が出てる…」

 碇君の唇の端から赤い筋が流れ出ている。

「え?ああ…」

 碇君は手の甲で口の端をぬぐうと、手に付いた血に顔をしかめている。

 わたしはあわててポケットをまさぐった。

「はい、これで拭いて」

「あ、いいよ。汚れるから」

 碇君はわたしの差し出したハンカチを受け取ろうとしなかった。

 わたしはそのまま碇君の顔にハンカチを当てていた。

「や、やめろ…!」

「きゃっ!」

 振り回した碇君の手のせいで、わたしは尻餅をついてしまった。

「あ、ご、ごめん…」

 あわてて碇君が手を差しのべてくる。

 わたしはおずおずと碇君の手を握ると、ぎくしゃくと立ち上がった。

「ごめん!だいじょうぶ?」

「え、ええ…」

 わたしはお尻をはたきながら答えた。

 せっかく拭いてあげようと思ったのに、突き飛ばされるなんて。

 なんだか、すごく悲しかった。

「ごめん。その、ずっと人に触られるのだめだったから…」

「…?」

 わたしは碇君に目を向けた。

 碇君は本当にすまなそうな顔をしていた。

「触られるのが?」

「そ、そうなんだ。変だってわかってるんだけど。どうしようもなくて…」

「それって?」

「多分、僕のしてたケガと関係あるんだろうけど。憶えてないんだ」

 憶えてない?

「もしかして、記憶がないの?」

「う、うん。まあ。 あ、全部ってわけじゃないんだ。この二年くらいのが無いだけで…」

「わたしも、そうなの」

 わたしは思ってもいなかったことを口にしていた。

 碇君はびっくりしたような目をわたしに向けていた。

「きみ、も?」

「赤木よ。赤木レイ」

「レイ?」

 碇君の眉が寄せられていく。

「そうよ。どうしたの?」

「あ、いや。なんだか聞いたような名前だと思って」

「そう。そういえば…」

 わたしは今朝の出会いの時のことを思い出していた。

「今朝、ぶつかったの憶えている?」

「う、うん」

 そう言ってから、碇君は少し赤くなった。あ、ちょっと待ってよ。ということは…。

 や、やっぱり見られてたんだ。どうしよう?

 わたしも顔が熱くなってきてしまう。

「あ、あの。全然見てないから」

「そ、そう?」

「ほ、ほんとだよ。み、見たとしてもほんのちょっとだから…」

 え、ええっ?

 やっぱり見られちゃったんだ。

 初対面の男の子にパンツを見られるなんて。もう、最悪。

 わたしは、ふらふらと碇君から離れ始めていた。

「あ、あの…」

 わたしはどうしていいか、わからなかった。恥ずかしいような、でも何となく許せるような。

 奇妙な感覚に自分自身混乱していた。

「誰にも言わないから」

 碇君の言葉に、わたしはこっくりと頷いた。

 気が付くと、地面に転がっていたはずの男子二人がいなくなっていた。

 わたしにはどうでもいいことだったけれど。

 

***

 

 ふらふらと教室にもどったわたしは、クラス委員の女の子に声をかけられた。

「赤木。ゴミ捨て済んだの?」

「…ええ」

「ゴミ箱は?」

 その言葉に、わたしは自分の両手を見下ろした。ない?

 さっきの場所に忘れてきた?

「忘れてきたわ」

「なにやってるのよ?早く取ってきて」

 わたしはもう一度廊下をもどるはめになってしまった。

 でも、気が重い。

 もう碇君はあの場所にはいないだろうけれど。

 そう思いながら廊下を歩いていると、声をかけられた。

「あの、赤木?」

 目を上げると碇君が立っていた。両手にゴミ箱を持って。

「これ、忘れていったみたいだから」

「あ、ありがと」

 わたしはもう一度自分の頬が熱くなるのを感じていた。

「いや、いいんだ」

 そう言いながら、碇君はゴミ箱を持ったまま歩いていく。

「あ、ゴミ箱、持つわ」

「いいよ。持ってく」

「あ、でも…」

 このまま碇君がゴミ箱持っていったら、変に思われないかしら。

 碇君の顔には赤い痣だってできてるのに。

 教室に戻った碇君は、ゴミ箱を置くとさっさと教室を出て行こうとした。

 でも、教室の中にいた何人かが変な顔をしていたし、一人は碇君に話しかけ始めた。

「おい、転校生。その顔どうしたんだよ?」

「あ、階段で転んじゃって」

「なにやってんだ?意外とドジなんだな」

「そ、そうなんだよ…」

 碇君はそれだけ答えると教室を出ていってしまった。

「ねえ、碇君がどうして?」

「え?」

 一緒に掃除をしていた子が話しかけてきた。

「なんで彼がゴミ箱もってきたの?」

「あ、きっとわたしが忘れたのに気付いたんだと思うから」

「そう。けっこう気が利くのね」

「そうね」

 彼女は碇君の出ていったドアを見ながらそう言った。彼女は碇君に興味を持ったようだった。

 それが、なんとなくわたしには気に障った。

 でも、なぜ?

「掃除、終わりよ。帰りましょ?」

「ええ」

 これあれこれ考えても、きっとわかるはずもない。

 でも、わたしのなくした記憶に関係あるのだろうか?

 もしかして、以前に碇君と会っているのだろうか?

 会っているとしたら、どんな風に?

 

***

 

 結局、考え込みながら学校の校門を出ることになってしまった。

 そういえば今日はお母さんがいないんだっけ。

「どうしようかな」

 明日のおかずとか、あったかしら。でも、買い物に行くにしても、いったんは帰宅しないと。

 そんなことを考えていたせいか、後ろからいきなり声をかけられて驚いてしまった。

「赤木」

 びっくりして振り返った先に碇君が立っていた。

「碇君?」

 ひょっとして、わたしを待ってたの?まさか?

「一緒に帰っていいかな?」

「え、ええ」

 わたしはうつむきながら小さく答えることができただけだった。心臓がどきどきしている。

 碇君はわたしに並びかけて歩き始めた。

「さっきは、ありがとう」

「え?」

 なんでお礼を言われるの?

「さっきの、ゴミ捨て場で」

「え?あ…」

「赤木、強いんだな?」

「そんなこと、ないわ」

「そうかな。あいつら、あっという間に吹っ飛ばされたけど」

「…」

 そういえば…。どうしてわたしにあんなことができたの?

「ほとんど触れてもいないように見えたけど。あれって合気道か何か?」

「え?え、ええ…」

 触れてなかった? まさか。そんなこと信じられない。

 変な子だと思われないかしら?でも、碇君が納得できるなら、そう思ってもらってもいいのかしら。

「なんだか意外だな。赤木っておとなしそうに見えるし」

「そ、そう?」

 わたしはずっとおとなしくしていたのに。

「そういえば、どうしてケンカなんてしてたの?」

「あいつら、いきなり金を持ってるかって聞くから」

 わたしは碇君に目を向けた。

「持ってないって言ったら、急に突き飛ばされたんだ」

「そんな…」

「転校生だから、狙われたんだろう」

「ひどい」

「でも、赤木が来てくれて助かったよ」

「わたし、なんにもしてない」

「そう?でも、あの時の赤木、恐いくらいだった」

「え?」

 恐い? わたしが?

「あ、ごめん。呼び捨てにしてて。赤木さん、って呼んだほうがいいかな?」

「レイ…、でいいわ」

 なんでそんなことを言ったのか、自分でもわからない。

 でも、赤木と呼ばれるより、名前を呼んで欲しかった。

「そ、そう?なんだか悪いよ」

 碇君は少し赤い顔している。

「嫌?」

「い、嫌じゃないけど…」

 碇君は赤い顔のまま上を向いている。

「くす…」

 思わず笑いだしてしまった。どうして?

「わ、笑うなよ」

「どうして?」

「だって、名前で呼ぶなんて、恋人みたいじゃないか?」

「そうなの?」

 そういえば、みんな名字を呼び捨てにすることが多い。でも…。

「おかあさんはレイって呼ぶわ」

「そ、そういうのと違うんじゃ…」

「そうなの?嫌だったらいいけれど…」

「あ、嫌ってわけじゃないんだ。ただ、ちょっと、照れるな。今日初めて会ったばかりなのに」

「そうね。でも、碇君は特別」

「ど、どうして?」

「わたしのパンツ見たもの」

「お、おい…!」

 赤くなって慌てる碇君は、なぜかかわいく思えてしまった。

「だから、いいの」

「そ、そういうもんかな?」

「そうよ」

 わたしはなぜか、うきうきし始めていた。

 こんな気分になるなんて、今までずっとなかったような気がする。

「碇君」

「な、なに?」

「レイって、呼んでみて?」

「え?」

「早く」

「レ、レイ…」

 わたしは思わず碇君の腕に手を伸ばしていた。

「あ、ちょっと…」

 碇君が赤くなっているのを見つめながら、わたしは胸の奥が暖かくなったような気がしていた。 

   続きます
 

Copyright by ZUMI
Ver.1.0 2000.1.8

  と、ゆーことで、第二弾です。
  ちとシリアスっぽいのはご容赦ください。
  この後、もっとシリアスになるかも…。
  痛くならないようにはしますから。(^^;