『Days of After 〜レイ〜』
  Vol.14 


 

「な、なに?!」

 碇君は忙しくあたりに目を走らせた。

 部屋の中を作業員が走り回っているのがわたしの目にも入った。

「レイ!こっちへ!」

 碇君はわたしの手を握って引っ張った。

「ど、どこへ行くの?」

「ケージへ行ってみる!」

「え?」

 ケージって?侵入者がいるところじゃないの?

「危なくないの?」

「エヴァがいるんだ。確かめないと」

「エヴァ…?」

 エヴァが無事かどうか確かめようというの?

「で、でもどんな侵入者かわからないんでしょ?」

「ケージってのは地下でも一番深いところにあるんだ。そこへ侵入してきたなら、ただの敵のはずがない!」

「そんな…」

 そんな敵がいるところにわざわざ行ったら、かえって危なくないの?

「碇君、危険よ!行ってはだめ」

「そんなこと言ってられないよ。もしエヴァが破壊されたら、大変なことになる」

「大変な?」

「最悪、エヴァが爆発するかもしれない。そうしたら、みんな吹っ飛んでしまうんだ」

 そう言いながら、碇君は廊下を走り出した。

「待って!」

「レイ!地上へ逃げるんだ!エレベーターはわかるだろう?」

 碇君は振り向きざまに叫んだ。

 わたしに逃げろと言うの?

 碇君を見捨てて?

 かっと身体が熱くなったような気がした。

「待って!一緒に行くわ!」

 わたしは我知らずそう叫んでしまった。

「レイ?だめだ!」

 碇君はそう叫んだだけで、そのまま走り続けていく。

 わたしは碇君を追って走り始めた。

 

***

 

 碇君を追って走り込んだのは、行き止まりの廊下だった。

「くそ!閉まってる!」

 碇君はそう叫んでドアに拳をぶつけていた。

「どうしたの?」

「ドアがロックされてるんだ。侵入者を出さないためだろう」

 わたしは正面を塞ぐドアを見つめた。

 分厚い鋼鉄製のドアらしい、見るからに頑丈そうなドアだった。

「この向こうなの?」

「ああ。でも、これじゃどうしようもない」

 碇君は悔しそうにドアを叩いている。

「そんなにエヴァが大事なの?」

「え?」

 碇君は意外そうな顔で私を振り返った。

「当たり前じゃないか。エヴァがなかったら、みんなを守れない」

「そうなの?」

「そうだよ。敵もエヴァを持ってるんだ。エヴァと戦えるのはエヴァだけなんだ」

「そう」

 わたしはドアを見つめた。

 なんだか胸の奥がもやもやする。

 なんでこんな気持ちになるんだろう。

 わたしはどうしたらいいんだろう?

「レイ!地上へ逃げるんだ。できるだけ遠くへ」

 碇君は廊下を引き返し始めながらそう言った。

「碇君はどうするの?」

「他の入り口を探してみる」

「待って!」

 碇君は意外そうな顔で振り返った。 

「なにしてるの?早く逃げないと」

「待って」

 わたしは目を鋼鉄のドアに向けた。

 そのままドアに近づき、片手を当ててみる。

「何やってるんだよ?」

 手のひらが熱くなってくるのがわかる。

 両手のひらをドアに当ててみた。

 ビキキキィ!

 ドアの表面に亀裂が走っていく。

 バンッ!

 次の瞬間、鋼鉄製のはずのドアはガラス板みたいに砕け散っていた。

「な、なに?」

 わたしは目の前で起こったことが信じられなかった。

 もしかして、わたしがこのドアを壊したの?

「レ、レイ?」

 振り返ると、青い顔をした碇君の姿が目に入った。

 まんまるになった目でわたしを見つめている。

「碇君、わたし…」

 碇君の目ははっきりとおびえを見せている。

 なんだか泣きたくなってしまう。

 わたしにどうしてこんなことができるの?

「碇君…」

「う、うあ…」

 碇君の顔が恐怖に引きつりそうになってる。

 お願い。そんな顔で見ないで。

 私が一歩踏み出そうとすると、碇君が後ずさっていく。

 お願い。わたしから逃げないで…。

「やあ、やっと来てくれたね」

 背後からかけられた声は、場違いにのんびりしたものだった。

 

***

 

「え?」

 ぎょっとなって後ろを振り返ってしまった。

 あの声は…。

 わたしの目に入ったのは、カヲルと名乗っていた少年だった。

「あなた…?」

「ありがとう。きみのおかげで、誰にも邪魔されずにここに入ることができたよ…」

 少年は口の端に笑いを浮かべたままそう言った。

「綾波レイ」

 わたしは少年を睨みつけた。

「あなた、いったい何を言ってるの?」

「一応、お礼を言っておこうと思ってね」

「礼なんていいわ。あなた、ここに入れないはずじゃなかったの?」

「きみを入れるためにフィールドを解除してあったからね」

「なんですって?」

 少年は相変わらず薄い笑いを浮かべたままだった。

 なんだか腹が立ってきてしまった。

「わからないかい?きみはNERVに歓迎されていたのさ」

「わたしを利用したの?」

 少年は肩をすくめた。

「致し方なくてね。きみには悪いことをしたよ」

「あなた…」

 身体がかっと熱くなったような気がした。

「何を話してるの?誰がいるの?」

 わたしの後ろから碇君が顔を出した。

「やあ、シンジ君。久しぶりだね」

「え?」

 わたしはちらっと碇君に目を向けた。

 碇君は困惑を顔に浮かべていた。

「君は誰?」

「ああ、残念だね。君も記憶をなくしているんだっけね」

「僕は君に会ったことがあるの?」

「僕は君の親友のつもりだったんだけどね」

「えっ?」

 碇君の目が見開かれる。

「また会えて嬉しいよ。君が僕を覚えていてくれないのが残念だけど」

「き、君の名前は?」

「カヲル。渚カヲル」

 少年はひどく優しい顔になった。

 どういうこと?

 碇君の友達だったって、本当のことなの?

「ぼ、僕は…」

「ああ、別に責めるつもりはないよ。君が元気でいてくれただけで、僕はじゅうぶん嬉しいから」

「あ…」

 碇君はわたしの隣にやってきていた。

「さて、すまないが僕はやるべきことをやらせてもらうよ」

 少年は背中を見せると、すたすたと歩き始めた。

「何をするつもり?」

「たいしたことじゃないよ」

 少年は片手をひらひらと振ってみせた。

 どういうこと?

 何をするつもりなの?

「待ってくれ!…え?」

 碇君が息をのむ気配がしたので、そちらに目を向けた。

「どうしたの?」

 碇君は青ざめた横顔で何かを見つめていた。

 碇君の視線の先に目をやったわたしは、何かが落ちているのに気がついた。

 いえ、落ちているんじゃない。人が床に倒れている。

 床に横たわったままの人は、ぴくりとも動かない。

 そして、身体の下に黒いシミが広がっている。

 黒というより、赤黒い色をしてる。

 まさか…?

 気がつくと、部屋のあちこちに人が倒れている。

 これをみんなあの少年がやったというの?

「お、おまえ!」

 碇君が急に叫んだ。

「こ、ここの人たちに何をしたんだ?!」

 少年は顔半分だけ振り返った。

「聞き分けがなくてね。おとなしくしてもらったよ」

「殺したのか?!」

 少年は軽く首を振っただけだった。

「どうなんだ?!」

「…」

 少年は今度は振り返らなかった。

「待てよ!」

「君がそんなことを気にする必要はないだろう?」

「なんだって?!」

 碇君ははっきりと怒りを顔に出していた。

「ここの人たちはみんな僕に優しくしてくれたんだ!それを君は…!」

「君は利用されてるだけなんだよ」

「それだっていいんだ!みんないい人たちだったんだ!」

「やれやれ」

 少年は歩みを止めなかった。

 その先には、壁に寄りかかったエヴァがある。

 何をするつもりなの?

「待って!」

 なぜか大声が出てしまった。

 なんだかとんでもないことが起きそうな気がしたから。

 次の瞬間、少年の身体はふわっと宙に浮いていた。

 

***

 

「え?」

 最初は自分の目が信じられなかった。

 いったい何が起こってるの?

 少年はすうっと上っていく。

 ロープとかがついてる様子はないし。

「ど、どうなってるの?」

 もう少年はエヴァの胸のあたりまで浮き上がっている。

「何をするつもりなんだ?」

 碇君は途方にくれたような声で言った。

 わたしは息をのんで少年のすることを見つめるしかなかった。

 少年が両手をエヴァに向けて差し出している。

 まさか…?

 唐突に少年の両手の先に赤い光が浮かび上がった。

 八角形の縞模様のような光がわたしの目を射た。

 少年は無造作に両手を振った。

 その動きにつれて、光がエヴァ目がけて飛んでいく。

 バキイッ!

「えっ?」

 エヴァの胸のあたりにぶつかった光は、一瞬強い光を放って消えた。

 光の消えた後には、胸の部分を無惨にえぐられたエヴァの姿があった。

「やめろ!」

 碇君の叫び声が響く。

 でも、少年は動きを止めなかった。再び少年の前に赤い光が生じている。

 胸の部分をえぐられたエヴァは、内部を露出させている。

 あれは何?

 何か、赤い色の球体のようなものが見える。

 少年は、その赤い球体目がけて、赤い光を放った。

 グシャッ!

 光がぶつかった球体の表面にひび割れが走っていく。

 そして、もう一度。

「やめろおっ!」

 碇君の叫び声もむなしく、球体にもう一度光が命中した。

 バキャッ!

 球体はバラバラになって、飛び散ってしまった。

「な、なんてこと…」

 碇君は荒い息をついていた。

「碇君?あの玉はなんなの?」

「コアだ」

「コア?」

「エヴァの心臓部さ。それを…」

 碇君はきっとなって少年を見上げた。

「お前は敵なんだな?!」

 少年は空中に浮いたまま、ゆっくりと振り返った。

「君たちはこれ以上エヴァに関わってはいけないんだよ」

「何をしたのかわかってるのか?」

「当然だよ」

 碇君は肩で息をしている。

 対照的に少年は落ち着き払っていた。

「碇君…」

 わたしはそっと声をかけた。

「コアが壊れるとエヴァはどうなるの?」

「…動かない」

 わたしは少年に目を戻した。

「あなた!」

 少年は宙に漂ったまま、冷然とわたしを見下ろしていた。

 

***

 

 ふいにシャッターが開く音がした。

 たくさんの人数の足音がする。

 目を動かすと、別の入り口からばらばらと人影が走り込んで来るところだった。

 先頭にいるのは、確か、青葉さん。

 走り込んできた人たちは、空中に浮かぶ少年に気づいてぎょっとなった。

「誰だ?!お前は?」

 少年は黙って振り向いただけだった。

 赤い目がきらりと光ったような気がする。

 走り込んできた人の何人かが銃を構えた。

「いけない!」

 わたしの口から制止の言葉が出たときには、構えられた銃から閃光と轟音がほとばしっていた。

 少年の身体の前に再び赤い光が現れる。

 何か硬いものがぶつかるような金属的な音がした。

 弾丸を跳ね返した?

 少年の目が赤く輝いたような気がした。

 少年が片手をかざす。

 わたしは我知らず走り出していた。

 目の前がいきなり真っ赤に染まった。

「うわああっ!」

 銃を持っていた人が何人か吹き飛ばされるのが目に入った。

 青葉さんも銃を構えている。

「だめっ!」

 わたしは青葉さんたちを庇うように、立ちふさがると両手を広げた。

 少年は薄い笑いを浮かべたまま片手をかざしている。

 唐突に、目の前が真っ赤に染まった。

 なんだかものすごい力がぶつかってきたような気がする。

「きゃっ?!」

 わたしが感じたのは熱風の嵐だった。

 大きなドライヤーの前に立ったらこんな気分になるかしら。

 身体が焼けそうなほど熱くて、立っていられないほどだった。

「くっ…」

 思わず目を閉じてしまう。

 キイイイイイィ…

 高周波音が耳を打つ。

 熱くなくなったので、うっすらと目を開いてみた。

「え?」

 わたしの目の前に赤い縞模様が広がっている。

 こ、これって?

 あの少年が使っていたものと同じなの?

「やれやれ。なんでそんなに人間を庇うんだい?」

 少年は困ったような顔をしていた。

「その人間たちは君を迫害した者達だろう?」

「そんなこと知らない…」

「理解に苦しむね」

「わたしの目の前で人を殺さないで!」

「…ふぅ」

 少年は両手を降ろすと、ポケットに突っ込んだ。

「レイ?」

 後ろから話しかけられて、ちらっと振り返った。

「冬月さん?」

「あの少年は見たことある」

 冬月さんは沈痛な顔をしていた。

「確か、17番目の使徒だったはずだ。生きていたか?」

「これは副司令。お久しぶりです」

 少年は言葉だけは慇懃に話しかけた。

「きみは死んだものとばかり思っていたよ」

「残念ながら、まだ生きながらえてます。そちらの…」

 少年はわたしに目を向けた。

「リリスのおかげで」

 リリス?

 なんのこと?

「レイ、大丈夫か?」

 冬月さんはわたしに心配そうな目を向けていた。

 意外だったけど、なぜか不快ではなかった。

「ええ」

 よく見ると、わたしのスカートがあちこち焦げたようになってる。

「目的はエヴァの破壊か?」

 冬月さんはもう一度少年に目を向けた。

「ヒトはもうこんな物は捨てるべきなんですよ」

「そんなことはわかっている。だが、必要なのだ」

「もう必要ありません」

「なに?」

 少年は薄い笑いを浮かべていた。

「ゼーレのエヴァも全て破壊しましたから」

「なんだと?」

「お疑いなら、衛星回線を開いてみてください。地球のあちこちで爆発が確認できますから」

「なに?」

 冬月さんは傍らの青葉さんを振り返った。

「至急確認するんだ」

「は、はい!」

 青葉さんが駆け去っていく。

「君の目的はなんだ?」

「アダムの痕跡を消すこと」

「なに?」

「人はアダムに関わってはいけないんですよ」

「アダムだけか?」

「リリスにも…」

 少年の目がきつくなった。

 両手をポケットから出して、わたしに向けてつき出してくる。

 もう一度あの熱風が襲ってきた。

「くっ…」

 わたしの目の前にもう一度赤い光が現れる。

「残念だったね、リリス」

 いきなり目の前が青く染まった。

 次の瞬間、わたしは何かに突き飛ばされたように床に転がっていた。

「これは、御心なんだ」

 わたしには何が起きたのかわからなかった。

 体じゅうが痺れて、片手すらも動かせない。

 目の前が赤く染まっていく。

 口の中が苦くてぬるぬるするもので満たされてきた。

「ぐっ、かはっ…」

 口の中に溜まったものを吐きだすと、少し楽になった。

「苦しいかい?すぐに楽にしてあげるよ」

 視界の隅に少年の姿があった。

 いつの間にか床に降りて来たらしい。

 少年は沈痛な表情を浮かべていた。

 もっとも、わたしにはどうでもいいことだったけど。

「…あ?」

 少年はもう一度わたしに向けて両手を突きだしていた。

 死ぬ?!

 わたしは初めて死の恐怖を感じた。

 どうして?

 なんでわたしが死ななくちゃいけないの?

 わたしが何をしたの?

 わたしが人にできないことができるからなの?

 どうして?

 視界が赤くぼやけていく。

 今になって、いきなり激痛が襲ってきた。

 身体じゅうがばらばらになりそう。

「ひぎいっ…」

 わたしは必死でもがいた。

 いえ、もがこうとした。

 手も足も少しも言うことをきかなかったけれど。

「さよなら…、リリス」

 少年がわたしに向けて手を差し出す。

 私は少年の手を信じられないものを見るような思いで見つめていた。

 

***

 

「やめろおっ!」

 誰かがわたしの目の前に立ちふさがった。

「碇、くん…?」

 わたしに背中を見せて立ちふさがっているのは確かに碇君だった。

「どいてくれたまえ、シンジ君」

「だめだ!やめろ!」

「どきたまえ」

「なんでレイを殺すんだよ?!わけを教えろよ!」

「彼女は人類に災いを及ぼす存在なのさ」

「ウソだ!」

「ウソではないよ」

「ウソだ!!」

「本当さ。彼女のせいで、君の父ゲンドウは片腕を無くした。それだけではない。人類は一度破滅の瀬戸際に立った」

「…ウソだ」

「人類が生きながらえたのは、ほんの彼女の気まぐれのせいなんだよ」

「…でたらめだ」

「どうしても彼女を庇うのかい?」

「レイを傷つけるな!」

「一緒に死ぬかい?」

「…死んだってレイは守る」

 碇君…。

 わたしの胸の奥に熱いものが生まれた。

 それはあっという間に育って、わたしを飲み尽くした。

「碇君、だめ…」

 気がつくと、わたしは立ち上がっていた。

「レイ?!」

 碇君が驚いたような顔で振り返る。

「驚いたな。まだ立てるのかい?」

「碇君を傷つけないで」

 わたしは碇君を庇おうと、前に進み出ようとした。

 でも、ぐらっとバランスを崩してしまった。

「レイ!」

 がしっと力強い腕でわたしを支えてくれたのは碇君だった。

「だめだ。そんなケガしてるのに」

「碇君は、わたしが守るの…」

 わたしは両足に残った力をふりしぼって身体を起こした。

 少年を睨みつける。

「やれやれ、けなげだね…」

 でも、少年の顔は困り切ったようにも見えた。

「僕の気持ちもわかって欲しいものだね…」

「わかるわけないだろ!」

 碇君が怒鳴った。

「勝手に人を傷つけて、何が面白いんだよ?!」

「…」

「誰にレイを裁く権利があるんだよ?!」

「…」

「レイはふつうの女の子だよ!」

「…」

「レイは優しくてきれいな、普通の女の子だよ!…レイは!」

「…」

「僕からレイを取るなよ!」

「…」

 少年は黙ったまま動かなかった。

「なんとか言えよ!」

 少年は黙って天井を振り仰いだ。

「…」

「おい!」

「彼女をそのままにすれば、君たちが不幸になるけどいいのかい?」

「そんなの、誰にもわからないじゃないか!」

「…」

「先の事なんて、誰にわかるってんだよ?!」

「…」

「そうだろ?!」

「彼女の正体はみんなに知られている。もう普通の生活はできないよ」

「そんなこと、そんなこと関係ない!」

「彼女は、…人間ではないんだよ」

「レイは人間だ!」

 碇君の叫びはわたしの奥底の何かに触れた。

 わたしの奥で、なにかが目を醒ますような感じがした。

「タブリス」

 その言葉は、わたしの口からするっとすべり出ていた。

 少年の目が険しくなった。

「下がりなさい」

「…」

 少年は初めて油断なく身構えたようだった。

「わたくしはヒトとして生きます」

「リリス」

「喜び、悲しみ、傷つけば死んでしまうヒトとして生きます」

「それで…、よろしいのですか?」

「かまいません。御方にはそう伝えてください」

 少年は戸惑っているようだった。

「わかりましたか?」

「…わかりました」

 少年は片膝をついた。

「数々のご無礼、失礼いたしました」

「それは構いません。それより…」

 わたしは部屋の中に目を向けた。

「あなたが傷つけた者に癒しを」

「は…」

 少年はすっと立ち上がると、柔らかな笑みを浮かべた。

「シンジ君」

「…!」

「彼女を大切にしてくれたまえ」

「…もちろん」

「本物の女神様をお嫁さんにするのは、君が初めてだろうな」

「なんだって?」

「これで失礼するよ」

「カヲル君!」

 少年は嬉しそうな表情になった。

「それでは、これで」

 少年はわたしに向けて一礼すると、すうっと浮き上がった。

 みるみるうちに少年の姿が透き通っていく。

「あ…?」

 少年の姿が完全に消えると同時に、わたしは意識を失ってしまった。

「レイ?!」

 わたしが最後に見たのは、慌てふためいた碇君の顔だった。

 

***

 

 わたしは無愛想な天井を見上げていた。

「うー。退屈」

 このベッドに寝かされて、今日で三日目。

 入院がこんなにも退屈なものだったなんて知らなかった。

 もうすっかり元気だっていうのに。

 お医者さんはまだ起きちゃだめだっていうし。

 でも、もうそろそろ…。

 わたしがドアに目を向けると、ちょうどドアが開くところだった。

「レイ?」

「碇君」

 碇君は少し照れたような笑顔を浮かべながら、病室に入ってきた。

「起きてたんだ?」

「だって、退屈なんだもの」

「そんなこと言ったって…」

「もうすっかり元気なのよ」

「あのねえ…」

 碇君はあきれたような声を出した。

「自分の姿を見てから、そういうことは言いなよ」

「えー?」

 わたしは自分の身体を見下ろしてみる。

 右腕は包帯にぐるぐる巻きされてギプスで固定されているし、胸も包帯で巻かれている。

 自分では見えないけど、頭も包帯巻きされているし、片目にはガーゼが当たってる。

「どこか変?」

「あのねえ…」

 碇君は椅子を持ってくると、ベッドの隣に腰を降ろした。

「どう見ても重傷患者だよ」

「むー」

 わたしはむくれたふりをした。

「まだ一週間は退院できないっていうのよ。ひどいと思わない?」

「毎日来てあげるから」

「ほんと?嬉しい」

 思わず笑顔になってしまう。

「でも、よかったよ」

「なにが?」

「レイが前みたいに明るくなって」

「そう?」

 わたしは碇君の顔をのぞき込んだ。

「わたしはいつでもこうよ」

「はいはい」

 碇君は笑いながら、毛布を直してくれた。

「なんだかその姿のレイってデジャヴあるなあ」

「え?」

「あ、なんでもない。気のせいだよ」

「わたし、こんな大けがしたこと初めてよ」

 でも、記憶を無くしていたときのことはわからないし。

「でも、レイ。本当に何も覚えてないの?」

「ごめんなさい…」

 あの地下室で何かとんでもないことが起こったことは確かだけど、なぜかわたしの記憶はすっぽりと抜け落ちてしまっていた。

 お医者さんが言うには、転んだ拍子に頭を打ったせいだろうということだった。

 本当にそれが理由なのかどうか、はっきりしないけれど。

「碇君は覚えてるんでしょ?」

「あ、うん。まあ…」

「後で教えてくれるのよね?」

「うん…」

 碇君は困ったような顔をしている。

「聞かないほうがいいの?」

「うん…」

「どっち?」

「うん…」

「もう!」

 わたしは碇君をぶつふりをしようと、手を振り上げた。

「う、いたた…」

「ほらほら、だめだよ。まだおとなしくしてないと」

 碇君はそう言いながらわたしを寝かそうとしてくれる。

「あとでちゃんと教えるから」

「きっとよ?」

 わたしは頭を枕に戻しながら言った。

「うん」

 碇君は優しい顔でわたしを見おろしている。

 なぜか顔が熱くなってきてしまった。

「あの…」

「なに?」

「ううん」

 何を話していいか、わからなくなってしまった。

 どうしよう?

「あら?いい雰囲気のところごめんなさいね」

「おかあさん?」

 ドアを開けて入って来たおかあさんは、白衣を着ていた。

 その姿は、なぜか見慣れたもののようにも思える。

「レイ。ちゃんとおとなしくしてないとだめよ」

「おかあさんこそ」

「あら、あたしはどこも悪くないわよ」

「碇君のお父さんの看病してるんでしょ?」

「え?」

 おかあさんがうろたえる顔なんて、滅多に見られないのだけれど。

 今のおかあさんは完全にうろたえてるみたい。

 ちょっと得した気分。

「どうしてそんなこと知ってるの?」

「伊吹さんがさっき来てこぼしてたもの。おかあさんが碇君のお父さんのところに入り浸ってるって」

「あの子は…」

 おかあさんは眉毛をぴくぴくさせている。

「でも、おかあさん。それでいいの?」

「いいのよ」

 おかあさんの言い方はそっけなかったけれど、顔は満足そうだった。

「それじゃ、レイ。また後で来るわね」

「おかあさん、まだ仕事?」

「まだ仕事が残ってるのよ。全部終わったら、帰りましょう?」

「うん!」

「それまでに、ちゃんと治しておくのよ」

「はあい」

 おかあさんが病室を出ていくと、碇君はため息をついた。

「ふぅ…」

「どうしたの?」

「あ、いや。どうも赤木博士って苦手で…。あ、ごめん」

 碇君がうろたえているので、笑ってしまった。

「確かに、ちょっと変わっているものね」

 相変わらず金髪だし。もっとも、それを言ったらわたしなんか。

「レイ」

 碇君は真顔になって言った。

「退院したら、第二に戻るの?」

「え?ええ」

 碇君はしばらく何かを考えてるみたいだった。

「碇君?」

「僕も第二に行けるよう頼んでみる」

「え?」

「あのマンション、まだ借りてるままのはずだから。一人暮らしの許可が出るかわからないけど」

「お父さんはどうするの?」

「父さんはまだ退院できないだろうし。できてもここを離れられないだろう」

「じゃあ…」

 いきなりとんでもないアイデアが浮かんでしまった。

 碇君と一緒に住めばいいのよ。

 わたしと、おかあさんと、碇君。

 碇君、嫌がるかしら。

 でも…。

 碇君と一緒に住めたら、どんなに素敵かしら。

 だめかしら。

 でも、もしかしたら…。

 そんなこと言ったら変な子と思われるかしら。

 でも、ここで言わなかったら一生後悔するような気がする。

 がんばるのよ、レイ。

「あの…、提案があるの…」

    おしまい
 

Copyright by ZUMI
Ver.1.0 2000.10.30

  ということで、このお話は一区切りです。
  いろいろ未決の問題も残っていますが、それはまた後のお楽しみということで。
  長い連載を掲載してくださったHIROKIさん、どうもありがとうございました。
  そして、ここまでおつきあいくださった皆様に感謝いたします。
  またいつか、この続きを書けるといいですね。
  それでは。