晴れ後くもり時々雨 第弐話 衝突

「あーあ、今日は完全に遅刻だわ」 右手に持った学生鞄を肩から背負うようにぶら下げ、 ぶらぶらと学校に向かって、ひとりの女生徒が歩いている。 なげやりな台詞と同様に、その足取りもどこかなげやりに、ぶらぶらと・・・ 太陽も昇り、いつもよりなんとなく暖かい小春日和の朝。 その女生徒がまさにこれから差しかかろうとしている曲がり角の向こう側、 めずらしく寝坊してしまい慌てて学校へと、男子生徒がひとり走ってくる。 チュンチュンとスズメがさえずる平和な冬の朝。 ゴッチーーーン☆☆ 不用意に曲がり角から足を踏み出した女生徒の側頭部に男子生徒が 飛び込むように激突する。あたり一面に星が散る。 「「いたたたたた」」 出会い頭の衝突から、頭を抱えながら、ふたりは上体を起こし、 互いに、相手の顔を確認すると、アスカは、呆れたような顔で、 シンジより先に、声を発した。 「また・・・アンタなの?」 「な、なにいってんだよ!そっちこそ!」 「アタシが何したってのよ!アンタが急に飛び出してきたんじゃない!」 「・・・た、確かに・・・今日は・・・その・・・ごめん」 冷静に考えて、自分に非のあることに気づいたシンジは、 少し顔を赤くしてそれを認める。 アスカは、スカートについたほこりを払いながら、立ち上がると、 シンジを見下ろしながら、不機嫌そうに呟く。 「走ったって、もう、間に合うわけないのにさ。バッカじゃないかしら?」 それは、アスカにとっては、本当に単なる独り言のはずだった。 しかし、アスカの呟きを聞き取ったシンジは、烈火のごとく怒りだし、 アスカを怒鳴りつける。 「なんだよ!その言い方は!!遅刻なんだから少しでも早く着くように、 走るのが当たり前じゃないか!」 「なに、むきになってるのよ?」 シンジは座り込んだまま、顔を真っ赤にしてアスカを睨み付ける。 「ばかぁ?そう思うなら、さっさと立ち上がって、いけばぁ?」 アスカは、馬鹿にしたようにそういうと、くるりとシンジに背をむけ、 来た道を歩き出す。 「が、学校、いかないのかよ!」 シンジはアスカの背中に向かって叫ぶ。 「アンタはアンタ。アタシはアタシ」 アスカは振り向きもせず、そう答える。 「どうして!どうして、そんな風に、いい加減にできるんだよ!」 シンジの叫びにアスカは足を止め、振り返る。 「なに?・・いってんの?・・アンタ」 「どうして・・・どうして・・・どうして、みんな・・・そんな風に・・」 シンジは、肩を震わせながら顔を伏せて、そう呟きつづける。 「アンタ、もしかして、泣いてる・・とか?」 アスカは、ちょっと、神妙な顔をして、覗き込むように、シンジに近づく。 「うるさいなっ!」 「ちょっと、待ちなさいよ!」 シンジは右手でアスカを振り払うように立ち上がると、アスカに背を向けて、 走り出す。 「・・・なに、ひとりで怒ったり泣いたり・・・」 シンジの背中を見送りながら、そう呟くと、アスカは右手の鞄を再び、 肩から担ぐように背中に回すと、くるりと、シンジの走った方向に背をむけ、 来た道を戻りはじめる。 「・・・・・まあ・・・どーせ、遅刻だけどねっ」 ふと、途中で足を止めて、そう呟くと、アスカは再び、180度、回れ右をする。 ◇ ◇ ◇ わたしは、急いでいた。 昨日の晩は、アスカと電話で長話をして、夜更かししたから、 今朝は・・・あれほど、お母さんに、起こしてっていってたのにぃ・・・ 『寝顔が幸せそうだった』なんて・・・ とにかく、遅刻なのよ!遅刻! まだ、新学期も始まったばかりだというのに!! わたしは、お母さんにひとしきり文句をいいちらしながら 顔を洗って歯を磨いて髪を・・・えーい!今朝は、こんなもんでいいや! というわけで、今は、とにかく、急いで学校へ走ってる。 ゴッチーーーーン☆☆ なに?なに?何が起こったの? 一瞬なにが起こったか分からなかった。 曲がり角を曲がった瞬間、目の前に星が散らばって・・・ 「「いたたたた」」 わたしは頭を押えながら起き上がりつつ、状況を確認する。 「碇君!」 わたしと向かい合うように、わたしとほぼ同じ体勢で起き上がりつつある 男子を確認して、わたしは、思わず、そう叫んでしまった。 碇君・・・碇シンジ君は、あの時、アスカに説教した男の子だ。 そして、わたしとアスカが入学した高校の同じ一年生で、 なんと、同じクラスで、わたしたちは、思いがけず再会してしまった。 アスカは、あの後、少し、言われたことについて悩んでいたみたいだったけど、 入学式の日には、すっかり忘れてたみたいだった。 とにかく同じクラスになって、わたしはどうなることかとハラハラして いたのだけど、案の定、アスカと碇君は、ことあるごとに意見が合わずに、 ことあるごとに、言い合いの喧嘩をしていた。 わたしは、いつも、その間にはいって、つっかかっていくアスカを とめる役目に終始していた。 「あ、綾波さん・・」 ◇ ◇ ◇ 「ごめんなさいっ」 「あ、いや、僕こそ・・」 シンジを確認すると、レイが慌てて立ち上がって、 ぺこりとお辞儀をしながら謝った。 シンジは、顔を赤くしながら、そういって、立ち上がった。 上気した顔からは、先ほどのアスカとのやりとりの形跡は感じられない。 「ごめんなさいっ」 レイは、もう一度、謝る。 「いや、本当に、大丈夫。それに、僕もよく確認せずに飛び出したから、 綾波さんも、今朝は寝坊?」 「はい」 シンジの問いに、レイはぎこちなく答える。 アスカを間に挟んでのいつものやり取りに慣れたレイにとって、 今朝のようにシンジと二人っきりのやりとりは普段とは違い、 どこか違和感のある受け答えとなってしまうのかもしれない。 「そうなんだ。実は僕も寝坊しちゃって」 「わたしは、昨日の晩、アスカと長話して夜更かししちゃったから」 「惣流さんなら、さっき、会ったよ。もう遅刻決定なのに、なに走ってるんだ って、馬鹿にされちゃった」 「ア、アスカ・・・」 レイは、顔を覆って、そう呟く。 「綾波さんは、惣流さんと仲いいよね」 「う、うん。碇君は、あんまりいい印象持ってないかもしれないけど、 でも、本当は、アスカって、とってもいい人なのよ。 優しいし、とっても真面目だし・・・」 「真面目ねぇ・・・」 「ちょっと表現の仕方が人と違うから、いつも誤解されちゃう けど、ホントはそうなのよ!素直に表に出せないから」 「まあ、そういう人ではあるかな、とは、なんとなく感じるけどさ・・」 「そっ、そういう人なの・・・とっても、寂しがり屋で・・・」 ちょっと、悲しそうな顔をして、真剣にそう話すレイを、うっすらと 微笑みながら、優しい目でシンジは見つめる。 「さっ、いつまでも、こうして話してる場合じゃなかったんじゃないっけ? 僕たち」 「え?」 レイは、シンジにそう言われて、慌てて腕時計を確認する。 「いっけなーい!わたしたち、遅刻しそうで走ってたんだ! ごめんなさい。なんか、アスカのことになると、わたし、いっつも ムキになっちゃって」 「さっ、いこっ。これ、持つよ」 レイの謝罪もまるで気にしないかのように、シンジは、そういいながら、 レイの鞄を拾うと、学校に向けて、走り出す。 「え?あ、はい」 シンジに鞄を持っていかれて、一瞬とまどったレイも、 すぐに後を追いかけて、走り出す。 「あ、あの、わたし、自分で、持ちますから」 「いいよ。この方が、早くつくでしょ?」 「すいません」 「とにかく、黙って、走る!」 「は、はいっ。ごめんなさい・・・・ありがとう」 シンジがレイに合わせて走る速度を緩めながら、そんな会話を交わす。 シンジは、レイの謝ってばかりの台詞に、クスリと笑って、速度をあげる。 ◇ ◇ ◇ 「あら?レイ、アンタなにやってんの?こんなとこで。アンタもなの?」 「えへへ、おはよう、アスカ」 「見れば、分かるだろ?遅刻して、立たされてるんだよ」 「だから、無駄だっていってあげたじゃないの」 「お前こそ、今日は学校サボるんじゃなかったのかよ!」 「別に、そんなのアタシの勝手じゃないっ。それに、お前だなんて、 気安く呼ばないでよね!」 「ア、アスカぁ・・・」 「なによ。レイ。こいつが・・」 「と、とにかく、まだ、中で授業やってるから・・・騒いでると、先生に・」 「そうね。じゃあ、アタシ、一時間目終るまで、屋上いってるわ」 「うん。ごめん。アスカ」 「なんでレイがあやまんのよっ。ぢゃ、後でね」 「う、うん。じゃあ」 レイはそういってアスカの後ろ姿を見送った。 アスカは、静まりかえった廊下をスタスタと階段の方へ歩いていった。 「あの・・・・ごめんなさい。碇君」 「い、いや。別に・・・その、彼女のいうとおり、綾波さんは謝り過ぎだよ。 別に、綾波さんは悪くないのに」 「でも・・・」 「ふふっ、でも、そうやって、友達の代わりに謝ってばかりいる綾波さん って、凄いなって思うよ」 「え?・・でも、そんな・・・」 「そうやって、それがまるで当たり前みたいに思えてて、自然にできるのが、 凄いと思う」 「そ、そうかしら?」 「うん」 レイの戸惑いに、シンジは、一言そう答えると、再び、廊下に静寂が 訪れる。 不意に、シンジが口を開く。 「あのさ、綾波さん」 「なに?」 シンジは、顔を真っ赤にして、しかし、思い切ったように、 顔を上げて、真剣な顔で、続ける。 「覚えておいて、僕は、君が好きだから」 「え?」 キーン、コーン、カーン、コーン ガラガラッ 「おい、お前たち、もういいぞ。今度から、気をつけるようにな」 「はい」 タイミング良く授業が終り、先生の解放の言葉にシンジは答える。 レイは、俯いて、黙ったまま、こくりと小さく肯く。 「それじゃあ、今度から、気をつけようね。お互い」 シンジは、そういって、にこりと微笑むと、教室の中に消えていった。 廊下に呆然と残ったレイは、アスカが屋上で待っていることを思い出して、 屋上へ歩きはじめる。 「さっきの碇君の言葉は・・・なに?」 ◇ ◇ ◇ 「一時間目、終ったの?」 「う、うん。さっき」 「アンタもばかねぇ、どうせ、廊下に立たされて受けさせてもらえないなら、 2時間目始まるまで、待ってればいいのに」 「うん。そうね」 「怒られるだけ、損じゃない」 「うん」 「・・・アンタ、どうしたの?元気ないじゃない?」 「え?」 「なんか、さっきから、ぼーっとしてさ、答えも上の空じゃない」 アスカは、わたしを覗き込むようにして、心配そうに訊ねる。 「そ、そうかしら?」 「そんなに、キツク怒られたの?一時間目、先生だれだっけ?」 「そうじゃないわよ。別に、怒られたからってわけじゃ・・・」 「ふーん、まあ、いいけどさ。それよりさ・・」 「うん、それより?なに、なに?」 アスカが急に恥ずかしそうにぼそっといった言葉に、 わたしは、気を取り直して、元気良く、問い掛ける。 そうよ。たぶん、あれは、わたしの聞き間違い・・か、もしかしたら、 碇君の気まぐれかもしれないし、「好き」っていったって、 いろいろあるもの! 「う、うん。アンタにだから、話すんだからね!絶対、誰にもいわないでよ」 「そんなの当たり前じゃない。絶対にいわないわ。 わたし、口かたいもんっ!」 「・・・なんか、少し、心配になってきた・・・」 アスカがジト目で、わたしを覗き込む。 「うっ・・・・だ、だーいじょうぶだって。絶対にいわないから、 そんなにわたしが、信用できない?」 アスカは、さりげなく、ポケットから取り出した煙草に火をつける。 フーっと煙を吐きながら、アスカは手すりに寄りかかって、遠くを見詰める。 わたしは、ちょっと、はしゃぎすぎたことを反省して、静かに話しかける。 「・・・ごめん。ちゃんと、聞くから。怒った?」 「別に、怒ってなんかないわ・・・アンタのことは、もちろん、信用してるし ・・・そうじゃなくてね・・・」 「うん・・・・ありがと」 「アタシ・・・・アイツのこと好きになった・・かもしれない」 アスカの表情がとっても真剣で、わたしは、しばらくどうしていいかわからず、 じっと、アスカを見つめた。 アスカは、煙草を手すりで、消すと、髪をクシャっと掻き揚げる。 「・・・・アスカ?」 「嫌なのよ。自分が。」 アスカは、静かに話しはじめる。 「今度こそ、ちゃんと、話そうって、いつも、思うのに」 アスカが泣いてるのが、わたしには、よくわかる。 アスカは、決して涙なんか流さないけど、でも、いつもそうだから。 「なんで、あんな風に、いつも・・・」 「アスカ・・・」 「レイっ!」 「な、なに?」 「アタシ、嫌なオンナよね!」 「え?そ、そんなこと・・・」 「嫌なオンナなのよ!どーせ、アイツだって、そう思ってるんだわ」 「アスカ・・・」 アスカが黙り込む。 確かに、アスカを良く知らない人からは、アスカって、あまり受けは良くない かもしれない・・・でも・・・ 「でも、わたしはアスカが好きだから。それは、アスカのことを知ってるから かもしれない。だから、その人にも、アスカのことをもっと知って貰えば・・・」 「そういうもん・・かしら・・?」 「わたしはそう思うわ。だって、アスカ・・・・だから」 「そう・・・」 「うん」
つづく

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